https://news.yahoo.co.jp/articles/f19aecf90215c197adcdc95e490a3f791d18f72e
「食糧はわずか20日分、あとは現地で調達せよ」インパール作戦・牟田口廉也中将の“無謀”は、イラン戦争にも通底していた
この戦いと同じ過ちは、「終わりなき戦争」の様相を呈する現代のイラン戦争でも繰り返されている。
このたび『 完全版 インパールの戦い 』(文春新書)を上梓した日印関係史のエキスパートである笠井亮平氏と、2018年から20年まで駐イラン特命全権大使を務め『 なぜ米国はイランに負けたのか 』(同)を上梓した元外交官の齊藤貢氏が、時代も規模も地域も異なる二つの戦いの“失敗”の共通点について語り合った。
齊藤 インパール作戦の構想自体は、完全に的外れとは言えないんですよね。時期によっては、結果も分からなかった。
笠井 そうなんです。インド北東部へ進攻するインパール作戦の前身となるプランは、じつは1942年に「第二一号作戦」として検討されています。たとえば連合国が蒋介石の重慶国民政権に物資を補給する「援蒋ルート」を完全に遮断しようとする方針など、中身もまっとうです。なおかつ、この時の英印軍は同年5月のビルマ失陥から立ち直っておらず、仮に作戦が実行に移された場合、防衛は難しかった可能性が高いと、英国側が戦後、評価しているのです。
ただし、この時の日本軍は、兵の疲弊もありましたし、食糧や装備を運ぶのが困難であるという兵站の観点から作戦を断念しました。
齊藤 2年前の段階では、冷静な判断が下されているのが意外です。
笠井 にもかかわらず、2年後のインパールの戦いでは、戦局の悪化に牟田口廉也の意向も重なり、兵站に重大な懸念を抱えたまま戦闘に臨んでしまうことになりました。
その行軍の悲惨さは、一言ではとても言い尽くせません。日本軍が携行した食糧はわずか20日分で、牟田口からは不足分は現地で調達すべしという指令が下っていた。装備や武器に関しても、いくつもの山を越えるため分解して担いで運び、都度組み立てることが前提とされているなど、十分に状況を見通していたとは到底言い難い。当然、短期決着は果たせず、日本兵たちは飢餓と豪雨に晒されながらの撤退戦を余儀なくされ、マラリアや赤痢に倒れていきました。退却路には白骨化した遺体が連なり、「白骨街道」という名称が、この無謀な作戦の象徴として今も語り継がれています。
齊藤 ただ、この撤退戦は、インパールの戦いの一面でしかありません。笠井さんの『 完全版 インパールの戦い 』の新しさは、英国側の視点から、この戦いを読み解いている点にあります。日本軍の心許ない兵站に対して、英印軍の補給網はどうだったのですか。
米国の弾切れは予想できた
齊藤 読みの甘さは、イラン戦争前夜の米国も同様です。私は2月末に攻撃が始まってすぐ、兵站の観点から「この戦争は先に撃つ弾がなくなった方が負けだ」と公言していました。着目したのは昨年6月、アメリカの支援を受けたイスラエルとイランによる「12日間戦争」です。この短期間で、米軍は保有する地上配備型ミサイル迎撃システム「THAAD」の30%を使用した、と報じられています。「THAAD」は年間100発程度しか作れず、1発20億円の費用がかかります。しかも弾道ミサイル1発を迎撃するために2発撃つ必要がある。そして、現時点で「THAAD」の残数は80~120発程度と見られます。
笠井 それでは、迎撃に2発ずつ使うとなると……。
齊藤 そうです。イランがあと60発、弾道ミサイルを撃ったら、米軍はもうお手上げです。なおかつイランの弾道ミサイルは1発あたり、せいぜい数千万円程度ですから、まったく不釣り合いといえます。ですから、少なくとも米軍は在庫を補充してから、この戦争を始めるべきでした。加えて、イランがホルムズ海峡を封鎖し、その次の段階として機雷を撒くことも当然読めたはずなのに、4月になって慌てて掃海艇を日本の佐世保から呼び寄せるなど、後手に回っています。
※本記事の全文(約7000字)は、月刊「文藝春秋」9月号と、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」に掲載されています(齊藤貢×笠井亮平「 イラン戦争は現代のインパール作戦だ 」)。
🐏「もう歩けないメ~」
そりゃそうだろ
ただでさえ人殺しなのにマジで大義も何もない
陸軍は上層部がほぼ全員辞めてるしな
本人は名将だと思ってた嫌儲軍師みたいだけど
自分らの補給計画がずさんなのと細々した補給マネジメントが遅れててあの惨状
クラウゼヴィッツが助走つけてぶん殴るレベル
オペレーションの上手い下手以前にね
Qアノンの馬鹿「トランプ!トランプ!」
牟田口の方が完全に無能だから
それに本人は満足して寿命を全うして死んでいくって言うねカス中のカス
いるわけがない。



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